パソコン記

<1993年頃のお話です。>

 


 大学生になると家にはワープロ・マシンが出現していました。ワープロ専用機です。他には何にも出来ません。そういえば、大学に入学した当時、「英文タイプライター部」という部がありました。部室には重たい鉄でできたタイプライターが転がっていました。やがて事情があってこの部に所属するようになったのですが、(無論、タイプライターに興味などありませんでした(*^_^*)。部費でワープロを導入し、名称も「ワープロ部」に変更しました。オアシス、書院、文豪などなど・・・。

 お陰で一通りの操作はできる様になりました。

 この頃、パソコンにそれ程の興味を持っていなかったので、正確ではありませんが、世の中ではPC-98シリーズが横綱でした。(初めてPC-98の値段を見たのはそれよりずっと以前でしたが、セットで100万円コースでした。)風の噂で「PC/AT互換機」などという単語を耳にしましたが、何のことやらさっぱり判りませんでした。

 さて、社会に出ると事情が一変しました。音響機器メーカーに勤めだした私でしたので、音響関係について勉強せねばなりません。そこで先輩の勧めるがままに、マッキントッシュを1年ローンで購入(確か、15万円ほどでした)してしまいました。「マッキントッシュ」という名前は知ってはいましたが、私の人生には何の関わりもない単語、一部の芸術家達のための特別な機械だと考えていました。なのに突然、私の手元に6色のリンゴマークの付いた薄べったい箱と、憧れの薄っぺらいキーボードが出現しました。しかし、使い方は全く判りません。接続はとても簡単でしたが、電源を入れると「ポーン・・・」という音がして、起動するにはするのですが、その後、何をどう操作すれば良いのか・・・。

Apple Macintosh LCU (1993年4頃、中古で購入しました。)

OS:漢字talk6 → 漢字talk7
CPU:68030 16MHz
HD:40MB→100MBに増設
RAM:4MB(後に8MBに増設。ラムダブラーも使いましたが、12MBまでしか認識しませんでした。)
FDD×1

付属
純正13"カラーモニタ
HUCOM EX-33.6

 忍耐強い先輩達のお導きによって、何とかLCUの操作に慣れてきました。その間、何度のシステムクラッシュに見舞われた事か。電源を入れても「?」マークのアイコンが現れる日々・・・。そして何枚ものシステム起動ディスクを入れては出す作業。しかし、人間たいしたもんで、段々、苦にならなくなってきます。その辺がマックの素晴らしさというか、巧妙さというか。(-_-;)

 一方、会社ではエプソンの98互換機がメインマシンでした。個人的には既にマックの素ばらしさを体感していたので、この80286マシンは「パソコン」と認めることが出来ませんでした。それこそ「ワープロ」です。マックに追随するらしい(?)GUI環境であるウィンドウズ3.1・・・・。これは確かに、というか一応、というか、使いたいソフトのアイコンをクリックすれば起動させることができはしましたが、所詮、MS-DOSの呪文が理解出来なければ、使いこなすのは無理だと感じました。それでも「一太郎」で文書の作成、「ロータス123」で表作成、「花子」で図を作成したりしたものです。ちなみに自宅ではマックで「ワード」「エクセル」「クラリス」なんかで遊んでいました。

 仕事では、それらを使って、年間の販売予算等を組んだりする訳ですが、巨大(模造紙ほど)な予算表をA4しか印刷できないドット・インパクトのプリンタでプリントアウトし、 定規を使って綺麗に切っては張り合わせ、今から思うと馬鹿みたいな予算表を、徹夜で作ったりしてましたね・・・。